第7章 政治・経済

Q 現王朝の名前は?

A ラッタナコーシン朝

Q プーミポン国王はラーマ何世?

A ラーマ九世

<クーデタ>

Q クーデタはタイ語で何?

A パティワット

Q クーデタの首謀者は、政治家? 軍人?

A 軍人

Q 直近のクーデタは何年?

A 2006年

Q 1992年首相の座にスチンダーというクーデタの首謀者が就いたことに反発する市民と、これを武力鎮圧しようとした政府の対立を何と呼ぶ?

A 暴虐の五月

<民主化>

Q タイ式民主主義を継承した1980年代のプレーム政権時代の政治スタイルは何という?

A 半分の民主主義

Q サリットの「開発」政策を受け継ぐが、独裁体制が知識人たちによって批判されて退陣を余儀なくされた指導者は?

A タノーム

Q 学生が大規模なデモを起こして政府に圧力をかけ、最終的に国王が調停することでタノーム政権は崩壊した。これを何と呼ぶ?

A 10月14日事件

Q 1975年、右派が危機感を募らせた世界的な出来事は?

A インドシナ3国の共産化

Q 1976年、右派がタムサマート大学構内で多数の学生や活動家を殺害した出来事は?

A 10月6日事件

Q 1992年の暴虐の五月を経て、民主的な憲法を求める動きが強まった。こうして作り上げられた1997年憲法は何と称される?

A 人民のための憲法

Q 2001年この民主的な憲法に基づいて行われた最初の総選挙で、大勝したのは?

A タックシンの愛国党

<経済ブームと経済危機>

Q タイの工業化が順調に進展してきた理由にはどんなことが考えられる?

A 「開発」の時代のサリット政権。外貨導入による民間主導型の工業化。

Q アジア通貨危機はなぜおこったか?

A 急速なバーツ売りの中でレート維持が厳しくなり、バーツを変動相場制にかえた為、バーツが暴落した。これがアジア一帯に広がった。

<タックシン>

Q タックシンの経済政策は何という造語で表される?

A タックシノミックス

Q 「デュアルトラック」路線とは? 何と何?

A1 輸出競争力の強化による経済成長。

A2 ポピュリズム政策の具現化による貧困救済。

Q タックシンがタイの経済成長を目指して重点的に競争力を高めようとした産業は? 三つ

A1 自動車産業

A2 食品加工業

A3 ファッション作業など

Q タックシンが貧困解消作として実施した政策は?

A 1村1品運動、30バーツ医療制度

<国王と王室>

Q 1992年暴虐の五月の政治的混乱を二人の対立する指導者を直接呼んで解決したプーミポン国王。2006年には即位何周年記念の式典が行われた??

A 60周年

Q プーミポン国王の誕生日である月曜日のカラーは?

A 黄色

Q プーミポン国王はラーマ何世?

A ラーマ九世

Q プーミポン国王の僻地の開発を促進する活動を何という?

A 王室プロジェクト

Q プーミポン国王の長男は?

A ワチラーロンコーン皇太子

Q プーミポン国王の次女は?

A シリントーン王女

Q プーミポン国王の三女は?

A チュラポーン王女